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feed セールスマンシップの鍵―その8「抜群に光る健康自己管理能力」 (2012/6/20 12:52:54)
div class_='wiki'彼とは高校の同じクラスで、席が隣でした。彼はレスリング部の、私は剣道部のマネジャーで、練習場の時間調整をめぐって、よくやり合った間柄でした。br / /divbr / div class_='wiki'フライ級で身が軽く、持久力は抜群。体育会のマラソンでは、いつもトップでした。その彼が大学一年のとき、アマチュアレスリング日本代表団の一員として渡米、そのまま居残ってしまうのです。5年後に全米選手権を取るのですが、ハーレム街でアイスクリームを売りながら貯めた約1万ドルを元手に、日本風のステーキレストランを始めます。これが彼のビジネスへの第一歩でした。br / /divbr / div class_='wiki'店の名は「ベニハナ・オブ・トーキョー」。彼とは、昭和56年(1981)に気球で太平洋の横断に成功したロッキー青木(本名 青木広彰)君です。br / /divbr / div class_='wiki'その後、レストランの支店はアメリカやカナダで50店を超え、大実業家に成長しました。 冒険が好きで、気球による太平洋横断の前に昭和54年(1979)には、外洋を突っ走るパワーボートのスピード記録を樹立したものの、レース中に胸骨を何本か折る重傷を負い、8回にわたる手術で奇跡的に回復しました。br /  br / 太平洋横断も、米大陸の西岸に着く直前は、悪天候との壮絶な闘いになりました。文字どおり命をかけた冒険だったのですが、彼は常に商売のことを忘れていません。br / /divbr / div class_='wiki'「ベニハナはPRによって生まれた」と自ら認めますが、一号店の開店後、エレベーターボーイがストをしている高層マンションの出前を引き受けました。新聞社のカメラマンが取材する目の前で、料理はロープでするすると運び上げられましたが、所定の窓に着く寸前、彼はロープをわざと揺すって料理をひっくり返し、周りの注意をさらに引きつけたのも有名な話です。br /  br / セールスの理論でいう「ショーマンシップ・アプローチ」の見事な実践です。気球による太平洋横断も約3億円(当時)かかったといわれますが、冒険好きのアメリカ人には、それ以上のPR効果があったかも知れません。br /  br / しかし、私が感心するのはテクニックではなく、その底に光るクールでバッグンの自己管理能力です。学生時代は、一見グレた感じもありましたが、たばこも酒もやらず、体のコンディション維持に最大限の注意を払っていた彼の姿を思い出します。br /  br / 二宮尊徳(1787~1856)は、治水のアイデアでも秀(ひい)でた能力を発揮したともいわれています。br / 洪水を防ぐ川の水を堰(せ)き止(と)め、ダムを作るのに、まず藁(わら)を使った吊り橋を作ったというのです。その上に乗って、縄(なわ)を切って、橋を落とし、そこに村人たちに石を投げさせたといいます。藁(わら)と石がからまって丈夫なダムができたのです。br /  br / しかし、藁(わら)の橋の上に乗って縄(なわ)を切らせるのは、一種のショーマンシップといえます。堅物(かたぶつ)と思われた尊徳も、実はユーモアのあるショーマンシップ・アプローチを使っていたことは、あまり知られていません。br /  br / 私は、研修事業を始めた若い頃、心構え変革の講演会が始まって10分くらい経ったところを見計らって、40cm四方の鏡と大きな金槌(かなづち)を取り出して勢いよく鏡割りをし、参加者の目を覚ましていたことがありました。既成概念をたたき割るという意味に使ったのです。br / /divbr / div class_='wiki'数年後に何人かの参加者に講演内容についての感想を聞いたところ、鏡を割ったことしか覚えていないと言われたこともありました。志(こころざし)を持った営業活動をしていないと、ショーマンシップ・アプローチも一般的な“ショー”で終わってしまいます。br / /div

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