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feed 意欲の源泉は何か―その11「子どもの育て方と老後の生き方」 (2014/9/19 10:27:44)
かつてある文化講演会で、「かぐや姫」や「一寸法師」など、おじいさん、おばあさんが拾い子を育てる 日本のおとぎ話について、話題になったことがあります。 すなわち、こうした一連のおじいさん、おばあさんの子育ては、老齢の人々による社会参加でもあったと いえるのではないか、ということです。 これらおとぎ話に登場するおじいさん、おばあさんの子育て方が気になるところです。 育て方という点からみると、「かぐや姫」と「一寸法師」は大変な違いがあります。 「かぐや姫」はご承知の通り、光る竹の中から生まれた女の子が、長じるに従って光り輝くような姫と なり、権力や富を持った男たちから降るようなプロポーズを受けます。 ところが、姫は無理難題を押しつけて結局すべての求婚者を退けるのです。そしてある満月の夜、軍隊 まで配備して姫を守ろうとしたおじいさんたちの願いもむなしく、姫は泣く泣く月の世界に連れ 戻されるのです。 姫は嫁に行くことも、月の世界に帰ることも望みませんでした。おじいさん、おばあさんも姫を手放した くありませんでした。つまり親離れ、子離れの精神は、まったく存在しないのです。擬似にせよ、親子が ひしと寄り添って、他の社会へ参加することを拒んで生きる彼らに発展をもたらすには、月からの使者と いう、人間の力をはるかに超えたものが必要であったのかも知れません。 では、「一寸法師」はどうでしょうか。法師は(たぶん相当早い時期に)自分から「都に行かせてほし い」と言い出し、頼んでいます。おじいさん、おばあさんは舟にするお椀と櫂(かい)にする箸を贈り ます。子どもの独立を歓迎し、そのためのプランに快く手を貸したのです。 老後についてみれば、「かぐや姫」のおじいさん、おばあさんが姫のいなくなった後、生きがいを失って 泣き暮らしたのに対し、一寸法師の養い親は、打出の小槌で立派な体格の若者となり、身分の高い姫と 結婚して地位も築いた法師に呼び寄せられるという物語です。そして、幸せ(これが当時の“夢”で あったのだろう)に暮らします。 子どもの育て方と老後の生き方について考えさせられるところのある話です。

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