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feed 自己の責任について(3) (2009/7/22 14:52:19)
ガルシアへの密書を託せられる人になろう 自分自身のためにさえ働こうとしない人が、一体、社会全体のために働けるでしょうか。 もし本当にそうならば、こうした人たちに「やる気」を起こさせる人物が必要になるでしょう。 あまり感心はできませんが、働かない者は「解雇」という“脅かし”を使わざるを得ない時もあるでしょう。念ながら、世の中にはやる気と責任感を持っていない人がいるものです。 人材募集をして、「あなたは、何ができますか?」と聞くと、「私は、何々会社の部長をしていました」とか、「私は一流大学の何々を卒業しています」としか言えない人がまだいます。 こんな人たちに、ガルシアへの密書を託せるでしょうか。 企業から解雇された労働者や、失業している人に対して、多くの人々は同情を示し、逆に解雇した経営者を批判します。しかし、経営側にもそれなりの理由があることを忘れてはいけません。 人間には必ず、向き、不向きがあるものですし、能力にも個人差があります。経営側も労働者の能力や適性に合った仕事を与えようと努力していますが、中には仕事にどうしてもなじめない者や、飲み込みが遅い者が出てきてしまうものです。 そのため、どんな職場でも「競争」や「選別」といったことが起きてしまいます。会社側からすれば、仕事のできるものに、よりレベルの高い仕事を与え、できないものにはそれなりの仕事を与えるか、または解雇という形をとらざるを得ません。不景気になれば、なおのことでしょう。 企業としては優秀な人材が、それもたくさん欲しいのです。ガルシアへの密書を託せるような人物が欲しいわけです。 ある人物の話をしましょう。この男、頭はよく切れるのですが、残念ながらやる気がありません。そのうえ、自分がいつも会社に抑圧されていると思い込んでいたために、まともな仕事もせず、自分から何かをすることも、指示を受けることもできませんでした。彼にガルシアへ密書を届けるよう依頼したとしても、彼はきっと「自分でやればいい」と拒んだでしょう。 今夜も、この男は、冷たい風の吹く街を職を求めて歩いていることでしょう。どんなに能力があっても、彼の仕事ぶりを知っている者は、あえて彼を雇う気にはならないでしょう。本人は気づいていなくても、彼は経営者からはトラブルの種、不平不満の固まりと見られてしまっているからです。 もちろん、彼のような者を気の毒には思います。本人は気づいていなかったり、直そうと努力しているかもしれません。しかし、彼を雇おうとしない企業の立場も認めるべきだとも思います。経営者の多くは、会社やそこで働く労働者のために、粉骨砕身の努力をしているのです。 今日、世界各国で勤労意欲の低下といった問題が叫ばれている中で、努力して成功した人々――経営者だけでなく、もちろん労働者も――に、ねぎらいの言葉をかけたいと思います。ゼロから出発し、努力だけで会社をおこし、多くの労働者に仕事の場を提供した人々、日々の仕事に全力を尽くし、自分のためだけでなく、会社、ひいては社会のために働いてきた人々、こういう努力の人々に、ねぎらいの言葉をおくりたいと思います。 経営者側にも、労働者側にもそれぞれ言い分があり、それなりに正しいでしょう。貧しいことは決してよいことではありません。豊かな方がよいのは当然です。ボロをまとうのはだれだっていやなものです。 とは言え、貧しい者がみな必ずしも高潔ではないと同様、経営者は全員どん欲で横暴だというわけでもありません。二宮尊徳の言っているように「貧となり富となるのも偶然ではない」のです。 上司がいなくても陰ひなたなく仕事に励む人、家でも努力することを忘れない人が、ガルシアヘの密書を渡されて、文句を言わず、こっそりドブに捨てることもせず、届ける人になろうではありませんか。 こういう人は、むやみに解雇されたり、会社から不当な扱いをうけることは決してないでしょう。 会社は、まさにこういう人々を求めているのです。こういう人々は、望むものは何でも手に入ることでしょうし、どこへ行ってもひっぱりだこです。世の中はこういう人々、ガルシアへの密書を託せる人々を切実に求めているのです。

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